「志を与えられた人=与志人」という名前を、両親から授かりました。
僕はその志を、西宮の政治にすべて捧げることにしました。
幼い頃から「志」という言葉を意識して育ちました。
3才から始めた剣道では、日本一を目指して、ひたすら竹刀を振り続けました。
中学、高校は、バスケットボール漬けの毎日。
目の前のボールを、がむしゃらになって追いかけました。
それが、その時の僕の「志」でした。
大学受験の浪人中に、病気になりました。
この時から「自分が、人生を懸けて成し遂げるべきこと」は何なのか、真剣に考えるようになりました。
20歳の時に、初めて西宮市議会に足を運びました。
そして、居眠りする政治家や、くだらない提案ばかりする政治家を目の当たりにしました。
「政治は変わらない」なんて、みんな涼しい顔で言いますが、それは、マスコミの受け売りだと感じました。
あの光景を直接見たら、それで済むはずがありません。
この出来事が、僕の政治家としての出発点でした。
政治家には、ふたつのタイプがいます。
ひとつは、権力に懐柔され融和していく政治家。
言い換えるなら、古い時代の政治家がこのタイプです。
彼らは、本当にすべき改革を妨げます。
議会は多数決で物事が決まりますから、正しいことをするには、「若い」政治家が、もっともっと必要です。
「若さ」とは、年齢のことではありません。
志を行動に変える情熱があるかどうかを「若さ」と呼ぶのです。
残念ながら、そういった政治家は、ほんの一握りしか存在しません。
反発だけを繰り返す政治家もいます。
地方議会は二元代表制という仕組みですから、市当局に対して一定の批判をするのは必要な役割です。
しかし、彼らは重箱の隅をつつくようなことばかりしています。
対案を出さなくてもいいのだから、こんなに楽な話はありません。
そして、政策判断に100%正解はないから、ちょっとミスが出ると彼らは言うのです。
「ほら、前から私は指摘していたのに。」…と。
そんな彼らは、地道な提案ではなく、ただの追及に精を出します。
それでは、当事者としての政治家じゃなくて、ただの評論家です。
前者は楽です。
票なりカネなり、いわゆる「甘い汁」を吸える可能性があるからです。
そして彼らは、権力と融和することで、「オレが○○を動かしている。」
…みたいな自己顕示欲さえ、満たされれば満足なのです。
僕は、彼らと闘わなくてはなりません。
後者は楽です。
批判だけを繰り返し、「自分は改革派だ!」「議会も市役所も、オレの改革を受け入れないダメ組織だ!」
そう言っているだけでいいからです。
政治は、合理性を論理的に主張するだけでは動きません。
彼らは、いちばん難しい「感情で動く」部分から、逃げてしまっているのです。
それは、本当の改革ではなく、無意識の妥協です。
僕は、そのどちらでもない新たな道を切り拓きたいと思っています。
そして、その新たな道に希望を見出してくれた子供たちが、
「政治家になって西宮のために働きたい!」
と思ってくれるような、そんな政治を西宮で実現することが、
僕に与えられた志であり僕が実現したい「志政」なのです。
【追記】
この文章を書いたのが2012年、この追記を書いているのが2024年です。
改めて読むと抽象度の高い恥ずかしい文章ではあるのですが、
初心を忘れないように残しておきたいと思います(笑)
ただ、40歳を迎えても根本的な気持ちは変わりません。
あえて付け加えるのであれば、
「みんなに歓迎される政治は存在しえないが、みんなに説明ができる政治はあり得る」
ということです。
僕の考えにみんなが賛同するということはあり得ないし、あったとしたらそれは独裁に繋がる危険な政治です。
一方で「川村のことは支持しないが、言っていることは一理ある」というのは十分にあり得る話であり、
そこには客観性、専門性、論理性、一貫性、合理性など満たさなくてはいけない要素がたくさんあります。
このように、ハードルは高いですがみんなに
「これが西宮のために必要な政治です!」と胸を張って言える政治が、
僕にとっての「志政」なのだと思っています。